2013年06月05日

母との日々 33


今日は母を眼科に連れて行く日。

その為に仕事も早い目に終わって帰ってきた。


病院の外出許可をもらって

車椅子に乗せて

歩いて15分ぐらいだろうか。

その眼科へ行く予定だったのだが・・・


母が熱を出していた。

体がガクガクと震えている。


手も腕も内出血があちこち見られる。

打つのだろうか。


そこへ看護士が来て

「お母さんは痔を持っていますか?」

と聞いてきた。


便に血が混じっているからと。

それは先日も言っていた。


表面だけなら痔を考えられるが

中身にまで血が混じっているのでと

大腸・胃・小腸・十二指腸と

全部をカメラで調べてもらったのだ。


結果

何処から出血していると断定できず

多分これだろうと

十二指腸の潰瘍で終わっていたはずが

また出血している。




明後日。

母の入所をお願いしている施設の

ケアマネージャーさんが病院に来る。

母の状態を見てみたいとのこと。


現在の母のケアマネージャーさんは

その施設のケアマネージャーさんに

母の病歴全部を話してはいないと言う。


骨折やパーキンソン病はいいのよ。

結核性胸膜炎が一番ネックやねぇと。

建前はこれで断ることはないけども、

でも、断る本当の理由はきっとこれだろうと。



あぁそうなんだ~

だからか・・・。



結核と結核性胸膜炎は違う。

呼吸をする肺に結核があると

呼吸をする度に菌を排出してしまうので

人様に移してしまう事もあるけれども、

胸膜炎は肺の周りの膜にだけ

結核によって炎症を起こしている状態なので

排菌はしないのだ。


でも、

それでもいいイメージは無い。

体内で結核を起こしたのだから

また起こるのではないかという疑念が残る。


はぁ~

この「結核」と名のつくもの。

完治しても

最低半年は服薬しなければいけないと

国からの規定があり、

母もまだ残り2ヶ月あるのだ。


おまけにその薬が強いため

副作用で目に支障が来る事もあるからと

マメな受診をしなければならない。


それが今回の眼科受診で

骨折から約45日。

やっと受診できると

仕事が休みの

パパさんにまで付いてきてもらったのに

来週に引き伸ばしだ。


こういう母を

果たして施設側は受け入れてくれるのだろうか。

いや、受け入れてくれる施設があるのだろうか。




認知も随分進んでいるみたいで

何が気に入らないのか

私に向かってぷんぷん怒ってる。


声が小さく

おまけにかすれているので

何を話しているのか分かりづらい。


病院の地域連携の相談員の見立てでは

お家で看るのは相当の負担がありますとのこと。


だけども

断られたら家で看るしかない。


私だけでは

きっと無理と分かっている。



母の平穏な日々を

どうしたら与えてあげられるか


同じく私の心の平穏もそう。


母の事が決まらなければ

すべて落ち着かないのだ。


あぁー
だから体調不良になるのかもしれない。


とりあえず明日

母の様子をみてこよう。

熱が下がっていると良いけれど・・・


ただ、思うのは

元気だった母が
今の母を見てどう思うのだろうか。

母は常々
延命治療はいらないと言ってきた。

去年から
身の回りを整理しはじめ
大事なものは全部私に預けた。

どういう死に方をし、
死んだ後の事も言っていた。

何だか病気になるのが分かってたみたいに。

それでも今日の母は
「死ぬのが怖い」と言った。

正直な気持ちなんだろうと思う。


母の平穏な場所は何処にあるのだろう。

私の奮闘はまだまだ続きそうです。



リハビリ中の母。
母との日々 33

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Posted by tammy at 23:01 │母の病気