2013年11月09日

母との日々 52 (お別れ)


玄関から甘酸っぱい香りが充満している。

もらってきたお花をいっぱい生けたからね。


母の葬儀が終わって早くも5日目。


ほとんど毎日通っていた病院へも行かなくなり

丸ごと時間が与えられた。


でも・・・


死亡届を出さなくちゃと役所に向かったものの

母の存在を抹消する手続きが悲しく

まだ早いとUターンして戻ったり


助手席に座っていた母の残像が思い起こされ

見えない母に語りかけたり・・・。



やらなくちゃいけない事が

色々あるのだけども

全ては来週から始めようと

家に閉じこもっています。




母の容態がおかしいと電話があったのが

11月3日の20時27分。


母が亡くなったのは11月4日の4時53分。


夜勤明けのままでフルに活動し

またその日の夜も寝ずで

私の体は相当疲れていたけども

それすらも忘れるぐらい頭も体も緊張していた。


母をきちんと送りださなくては・・・


仕事中のパパさん

そして兄や妹に連絡した。


セレモニーホールの方と

お通夜とお葬式の打ち合わせをし

母の兄妹たちに連絡を入れる。


母の希望で

今、流行の「家族葬」をした。




祭壇なんていらない。

遺影写真の他に

気に入った写真を真ん中にバンと映像で映し出してもらえ、

また周りは母の兄妹や子供達・孫達からのお花の盾で

埋め尽くされていく。

お花も洋花で可愛く、お花だらけだ。


ほんとにとても

ほんとにとても良かった。


家族と身内だけの

心の底から悲しみを共有できる者たちだけのお式。


母の遺影をバックに

兄妹家族全員で写真を撮りました。


それぞれ他府県なので

こんな機会でないとなかなか会えない。


きっと母も喜んでいるだろうな。



母が亡くなった。

頭では分かっている。

でも、やっぱりまだ生きてるような気がします。



自分の体にエンジンをかけなくちゃいけないと思いつつも

何もしたくない、というのが本音で


親を見送る大変さ

後悔することの多さ


しばらくはこれらの葛藤に浸っていそうです。


でも、母の分も、両親から頂いたこの命。

しっかり生きなくちゃね。

それが母の何よりの供養になるような気がしています。



LINEやメールで励ましをくださったみなさま。
ほんとにありがとうございました。


  
タグ :家族葬


Posted by tammy at 11:55母の病気

2013年10月25日

母との日々 51



全身で息をしている母。

辛そうだ。


鼻に付けていた蝶々のような酸素吸入器が

今では口までも覆うものに変わった。


今日、あまりに体が熱いので

熱を測ってもらうと39.9度だった。


微熱はよく出ていたが

最近では高熱も続いている。




つい最近

院長先生からお話しがあった。


高熱が続くので

胸のレントゲンを撮ってみたと。

血液検査もしてみたと。


結核は陰性だったが

肺気腫を起こしている。


酸素濃縮器は3Lから5Lにしたが

加減が難しく

炭酸ガスが発生したら本人は辛いとか。


そこら辺が私にはよく理解できていないのだが


とにかく容態は良くないから

今の内に近親者に連絡して

お話しできる内に面会しておいた方がいいと言われた。




今日の母を見ていても

ほんとに辛そうで可哀想だった。


痰がからんでいる。


全身も、なぜ力をいれるのかわからないが

あの細い体に力が入って寝ている。


パーキンソン病の症状なのかもしれない。


見ている私も辛くなる。


しばらくブログはお休みするかもしれません。

ごめんなさい。
  


Posted by tammy at 16:34母の病気

2013年10月21日

母との日々 50



「体に気をつけよ」


いつものお見舞いから「またね」と

病室を出る私の背中に投げてくれた母の言葉。


肩関節症つまり五十肩みたいなものを

左肩に抱えている私は

痛む角度というものがあるのだけども

いつもそれを意識しているわけではなく

痛みが走って

改めて認識するもの。


我慢も突然走る痛みには対応できず

思わず「痛っicon10

と声に出てしまうのだが

その言葉に敏感に反応する母がいた。


「お母さんに負けず

 私もあちこち痛いところだらけよ」

と笑って言ったのだけど

帰る私の背中に投げてくれた言葉に思わず胸が熱くなる。




母の病室に行くと

必ず布団をめくって全身を確認する。


細い細い。

ほんとに、細い。



時々あれが食べたい・これが食べたいと訴えるが

どうしようもなく


喉通りのいい

美味しそうなゼリーがあれば

どんどん買っている。


それが高かろうが

一口で「いらない」と言われようが

生きている間に食べられる唯一のもの。



時々思う。


このまま連れて帰ったらどうなるのだろうか、と。


ヘルパーさんをフルに活用して

訪問看護や訪問リハビリも活用して・・・


それで母の状態が

今より上にいくとは思っていないけれども

精神面では遥かに満足するのではないだろうか、と。


そして何より

同じ死ぬなら家の方がいいだろうとも。


だけど

それによってのリスクも考えてみた。


全ての時間の肉体的・精神的な拘束。

パパさんの理解。

夫婦としての時間。


申し訳ないけども

私もパパさんもストレスが増えるだろう。



だけど

きっと母の寿命はそう長くない。


そう思うから

そうしたいなと思ったのだ。



父の介護に10年を費やし

最後、病院に入るまで

母一人で頑張ってきた。


いや病院に入っても

毎日通っていたっけ。



ちょうど今の私と同じで

夜に近くのホテルで掃除の仕事をしながら

父の面倒をみていた。



私は他県に住んでいたので

時々しか行けず

母は本当に頑張ったと思う。


その父の祥月命日がやってくる。

亡くなって5年。

やっと母に自由が訪れた。


一緒に住もうと

もう随分前から言っていた。


純粋に母を幸せにしたかったから。


とはいえ、

特別に仲良し親子でもない。


ただ、苦労してきた母を可哀想に思い

老後は私がみてあげたいと

いつの頃からか思ってきたこと。


それが難病になって

骨折して

あっという間に寝たきり。


母と行った場所があちこちあって

見る度に私の胸が痛む。


このまま病院にいても

何も良くならない。


それならば・・・


私の中で問答が続く。


犬に囲まれて

ドタバタしながら過ごす方が

いいのではないか・・・


そんなことを思うこの頃です。
  


Posted by tammy at 19:50母の病気

2013年10月09日

母との日々 49



母が可哀想で

側にいるのが辛くなってきた。



「関節の拘縮」が痛いのだ。


何度も「痛いよー」と顔を歪めている。



そして「手を引っ張ってほしい」と訴える。



でも、曲がってしまった以上

無理な事はできない。


骨折してしまうからだ。


ただただ

さすってあげるだけ。


やや浮腫んだ手首を

さすって、さすって、さすって・・・。


この痛みはとれないのだろうか。

看護士に聞いてみるが首を横に振る。


良くなってほしいなんてもう思わない。


父よ。

早くお母さんを迎えに来てあげて。

この痛みから解放させてあげて。



母の顔を歪ませるのではなく

穏やかに死なせてあげたい。


今、祈るのは

早く母を逝かせてあげたい。


長生きすればいいってものじゃない。


早く早く痛みのない世界へ。


ほんとに祈る。


  


Posted by tammy at 18:00母の病気

2013年09月29日

母との日々 48

今月の初旬。

母のお見舞いに母の姉と妹夫妻が来た。

その2週間後には

私の従姉妹で母にとっては姪・甥が来た。


みんな、母の事を心配してくれている。

とても有り難いこと。

皆に愛される母は、それだけで偉大に思う。


体の調子は、大きく変化は無い。


結核の薬が終わってから若干元気になったが

両手足は拘縮し、しょっちゅう熱を出している。


今日もアイスノンをしていた。


拘縮の手足に変化がないか、足元の布団をまくってみる。


細い細い足が見える。

足首より10センチぐらい上の部分を握ってみた。

ちょうど私の親指と人差し指を繋げて輪にした分しかなかった。


きっと骨に皮膚があるだけなんだろう。

私の手首より細いのだ。


あぁ こんな姿にさせたくなかった。


痛々しく、見ているのも辛い。


最近では首を曲げるのも時間がかかる。


いつもテレビの方向に首を向けているので、

枕に当たる方がいびつになってきたように思う。



「うん、うん」


ベッドの柵に顔をのっけて

なるべく母の目線に近くして話をする。

いや、聞いている方が多い。


何を言ってるのか、わからない事も多いが

「うん、うん」とずっと頷いて聞いている。


時々、本気で思う。


このまま、死ぬのを待ってる日々ならば

ストレッチャーに乗せてでも

外の景色や空を見せてあげたい。


病院の空気じゃなく、外の空気を吸わせてあげたい。


今の姿は、ただ生きてるというだけで

そこには何の幸せも無い。


寿命が減ったとしても

外に連れ出してあげたい。


ほんとに、強く思う。


  


Posted by tammy at 21:00母の病気

2013年08月31日

母との日々 47


母と同居をするにあたって
パパさんに食べさせてもらうわけにはいかないと、
けじめとして母から毎月お金をもらっていました。

でも、そのお金のほとんどは母の為に使いました。

ベッドのクッションがイマイチだと言えば
畳のベッドを買い

腕時計が壊れたと言えば
見やすく、又取り外しのしやすい時計を買い

可愛らしいアクセサリーがあれば買ってあげたりもした。

母に似合いそうな服があれば、それもついつい。


とにかく快適に過ごしてほしかったのと
それぐらいの事しかできなかった、というのが正直なところかもしれません。


また、イズミヤなどのデパートやスーパーなど、
主婦がよく行きそうな場所にもけっこう母と行ったので、

最近一人で行ってみると、あぁここにも二人で来たなぁと
寂しい思いに駆られます。


あちこちランチにも行ったし、
映画にも行ったし、イベントやお寺巡りもしたね・・・


母から貰ったお金は母に使い
結局、形あるものは全て私に戻ってきました。


今、母が使っていたベッドで寝ています。

腕時計なんてしなかったんだけど、
これを機会に使い始めました。

まだ値札も取っていない、母に買ってあげた服も
クローゼットにあります。

すべてに母との思い出がいっぱいです。



  


Posted by tammy at 23:31母の病気

2013年08月27日

母との日々 46


私の心の中で
いろいろな思いが巡っていく。


今の形は
決して母の望むものじゃなかった。


寝たきりになって皆に迷惑かけるなら
一層のこと死ぬ方がいいと言っていた母。

だから一番避けたかったこと。

皆に迷惑かける、それもあるだろうが、
自分自身もほんとにイヤだろう。

私だってイヤだ。



曲がっている手首について
整形の先生から返事が来た。




「屈曲拘縮 くっきょくこうしゅく」

つまり、寝たきりや病気等によって、
関節が固まって動きにくくなること。


特に母はパーキンソン病をもっていたのと
発熱等で寝たきり及び栄養不足もあったので
あっという間に進行したようです。

詳しくはこちら
http://www.ec-knt.jp/tsuusho2011/bunkakai/pdf/06_1.pdf


寝たきりになることによって、
いろいろなオマケが付いてくる。

屈曲拘縮になってしまった以上、
動かそうとしたら激痛が走る。


あぁ 望まない形で
これからどれだけの時間が流れるのだろう。


生きていてほしいと思う半面
寝たきりの母を見ていくのはもっと辛い。



母は、自分の置かれている立場が理解できているようで
出来ていない。

体が動くと思っているのだ。
手さえも、足さえも動かせない。
唯一、ほんの少し、首を動かせるだけなのに。

昨日も『鍵を貸して』と言った。
自分で運転して帰るみたいな、そんな感じだ。

「ダメダメ」と否定ばかりするのも可哀想で
母を落ち込ませないように会話も神経を使う。


母の病室に行くのが
少し重たくなってきました。


どう、上手く会話をするか、
それが今の私の課題です。



  


Posted by tammy at 13:48母の病気

2013年08月23日

母との日々 45


昨日の母は穏やかだった。


話しの内容は現実と過去を行ったり来たりしているけど
私はその時々で合わして返事をする。


健常者だって、
毎日24時間、寝たきりになったらどう変わるだろう。


オムツをし、羞恥心を剥ぎ取られ、
鼻には酸素の管があり、体を動かす力さえ無いとしたら・・・

毎日眺める天井の模様さえ覚えそうだ。


私は7歳の時に約1年近く入院した経験がある。
絶対安静だった。

でも、子供がそんな状態でずっといるなんてとても不自然。

それでも周りの大人の顔色を見ながら
過ごしていたのをハッキリ覚えている。

毎日注射だった。
これは未だにトラウマで、注射は大嫌いだ。


母は今、そんな状態にいるんだろうな。



頭の中も迷走しているんだろうな。


ちなみに結核の薬で、
半年の服用期間が無事に終わった。

長かったね、頑張ったね、お母さん。


一つ、ようよう終わりました。

  


Posted by tammy at 18:00母の病気

2013年08月20日

母との日々 44


そう言えば母もそうだ。

食事が食べられなくなったのを機に
食事を止めたのだが

それからの方が元気になったように思う。


今の母は点滴と、栄養補助食品の飲み物と、
病院に預けているゼリーを1個食べるか食べないか。

そう、ほとんど口から食べない日々を送っている。

でも、先月のあの落ち込みから比べると
酸素をしているとはいえ、今の母の方が元気に思う。


と言っても、
健常者の人の元気とはまた違うのだが・・・。



巨峰を6粒食べた。
デラウェアも15粒ほど食べた。


あとはおにぎりか。


最近の母は「おにぎりが食べたい」とよく言う。

でも、嚥下作用が悪い母にとって
おにぎりは怖いもの。

とても食べさせてあげられるものではない。

それでも食べたいのだろう。

おにぎり・・・とはいかなくても
ご飯の数粒を食べさせてあげようか。


看護士さんに言われた。
「大事にされてお母さん幸せね」と。


ほぼ毎日通ってる。

そんな中、母と同室の人達の家族を見たことがない。

あんまり面会に来られていないのかもしれないし、
たまたま会わないだけかもしれない。

長い人で12年以上も入院されている。

本人は元より、家族も最初は辛かっただろうが
慣れてしまうんだろうなぁ。
いや、慣れないと神経も持たないしね。

それに家族には現実の生活がある。
仕事もあるだろう。
たびたび来れないのは当たり前だと思う。


私は有り難いことに
母のことに専念できる時間がある。

ならばなおのこと、後悔のないようにだけはしたい。

母にも、私にも。


さぁ、今から行ってこよう。
母の顔を見に・・・


  
タグ :母の病気


Posted by tammy at 18:46母の病気

2013年08月17日

母との日々 43


姪がお見舞いに来てくれた。

母も孫の登場に嬉しそうで
最初に出た言葉が「カワイイなぁ」だった。

うん、そうだね。


テレビの高校野球を3人で見ながら
今日の母はご機嫌で、よく喋ってくれた。

あぁずいぶん元気になってくれたなぁ。


先月の7月は
母の命が消えるのではないかと
毎日がとても怖かった。

そして8月の初め頃も
今月を越せないのではと本当に思っていたけど

ココ最近はなんとか少しずつでも
元気になってきてくれている。

酸素をしているとはいえ、
いつでも覚悟は出来ているとはいえ、

よく喋ってくれる間は大丈夫だよね。


久し振りに会う孫。
今日の母が穏やかでいてくれて良かった。

ほんとに。


明日はぶどうを買っていこう。

以前食べたぶどうの残りが気になってるようだ。

そんなの、とっくに無いのに、
あの時のぶどうは・・・と、そういう事はしっかり覚えている。


転院してすぐに脳と肺のレントゲンを撮った。

その時、主治医は言ったのだ。
年齢の割りに脳の萎縮も少なく綺麗だと。


確かに数字が好きな母は
そういう関連の事はしっかり覚えている。

ぶどうのことも、もしかして房でも数えていたのかな(笑)


母が落ち着いてくれているので
私の心も安定する。


穏やかな日々です。
  
タグ :母の病気


Posted by tammy at 22:23母の病気