2013年08月07日

母との日々 40


親不孝な娘かもしれない。
もう母の部屋を整理し始めている。

と言っても
体が思うように動かなくて、あんまり進んではいないんだけど・・・


でも
きっと母はこの部屋に戻ってくることは無い。

体重は30キロを切っただろう。
食事も食べていない。

口は大きく開けられず
嚥下も悪いし
何より本人も食べたがらない。

1本200ml当たり300kcalという
明治のメイバランス栄養機能食品を飲み、
リプラス3号輸液を点滴している。

鼻には酸素の管をつけられ
指には心電図や酸素の値がわかる送信機がつけられている。

この状態でいつまでもつのだろうか。

左手に麻痺が現れている。
手を握ったままで、動かす気配も無い。

それから熱だ。
熱を出していない日の方が少ないのだ。

何の熱なのか、
私は不思議でたまらない。


母に言ってみた。

今日の母は割としっかり話せたので
思い切って、私の思いを言ってみた。

「結局、何の病気だったのかわからないね。
パーキンソン病症候群ではあったと思うけど・・・
もしね、死んでから調べてもいいなら、そうするよ」と。

母は言った。
「いや、もういいよ。」

でも、私はまた言った。

「そう。
でもね、私の中でずっと何の病気だったのか心に引っかかっていくと思う。」と。

そしたら母が
「気になるなら、してもらい。
おばあちゃんもそうしたわ。」と。


そう、母の亡き母。
私の祖母は病院側からの申し出で病理解剖をしていたのだ。


話は決まった。


先ずは病理解剖について調べてみた。

私の病理解剖の目的は、母の直接死因を解明してもらうこと。
つまり、どんな病気だったのか、それが一番知りたいのだ。


でないと、今まで母の病気に付き合い、病院に送迎してと、
私なりに一生懸命してきたことが結局なんだったのか。

何もわからずして母を送りだし、
この先ずっと何の病気だったのかと自問しながら私は生きていくのか。

そんなこと、耐えられないよ。

だが、色々読んでいく内に、
病理解剖をすれば全てが分かるわけではないこと。
中には最後まで亡くなった原因が掴めないこともあるとか。

それでも病理解剖の結果、原因不明の死因なのか、
病理解剖が行われず原因不明の死因かは大きな違いがあるとも。


確かにそうだ。
母を苦しめた病気を知りたい、知りたい。


今日、病室に入ってすぐ母の顔を覗き込んだ私。

笑顔で母の顔を見つめていると
しゃがれた声で最初に出た言葉がこれだった。

「今まで色々と世話になったな、感謝している」と。


泣きそうになった。

何を言うてんの!と
母の前では笑って返したけれど

帰りの運転中、思い出しては涙がこぼれた。


あと、どれぐらい残っているのだろう。
母の命。


でも、せっかく時間が与えられているのだから、
今の時間を大切にしよう。


病理解剖。
こちらも母が許可してくれた意味も含めて
主治医に相談しよう。
兄と妹に相談しよう。




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Posted by tammy at 00:15 │母の病気