2013年04月06日

母との日々 26


今日は最悪だった。
そしてつくづく思った。

介護は本当に大変だと。
家族で看るものではないと。


いや、余裕があるなら
家で看るのもいい。


例えば大家族で
皆が分担して看ている、とか


何不自由ない経済力の元
お手伝いさんや家政婦さんがいる、とか


時々代わってくれる誰かがいて
リフレッシュできる時間が持てる、とか


でも、そのどれでも無くて
1対1で看ているものほど辛いものは無い。


気持ちの余裕も無ければ
それを発散させるべき時間も無い。


パパさんに理解があろうが
それは理解があるというだけのもので、
まして介護を頼めるものでもない。


ただ悶々と向き続ける母との日々。


ずっと元気が取り得の母だったので
まさか最後の最後で
難病になったり認知症になったりするとは
予想もしていなかった。


自分の親と向き合うって
こんなにしんどいものなんだ・・・


これが大好きな祖母だったら
どうだったんだろうか。


やっぱり同じなのだろうか。


今みたいな、
私だけが看ている環境だと
やっぱり同じかな。
どうしても追い詰めるよね。


友達から久し振りに電話が鳴った。

ほんとに嬉しかったので
つい長話をしてしまった。

と言っても10分か15分ぐらい。


その間、
母は私に言いたい事があったようだ。


私の目の端に母が写る。

ドアをドンドン鳴らしたり
杖をコンコン鳴らしたり

私に聞こえるように
精一杯声を出して何か言ってる。


とにかく私に早く電話を切ってもらいたいのだ。


私はそれを無視して
友達と話しを続けていた。

せっかくかけてくれた友達。
おまけに母の事も心配してくれている。

それを無下に切れないよ。


「またね、ありがとうね。」
そう言って電話が終わった。


その時、母が言ったのだ。
「電話の長いのも困りもんやわ~」と。


あっ、と思った時には怒鳴っていた。

「うるさい!!」

次から次へと出る母への不満。

自制しなくちゃと思う気持ちよりも
それを上回る何倍もの力に爆発したのだ。

止められなかった。
自己中心的な母への嫌気にタガが切れたのだ。


母はポカンとした顔をして
私の剣幕に
「ごめんなさい、ごめんなさい」と言い
そして
「私は寝てていいんかな」と聞いてくる。


あぁ、何度言ったら通じるんだろうか。


今さっきも横になりたいと言って
ベッドに寝かせてあげたのに

それをわざわざ起きてきて
また同じ事を言う。


認知症なんだからと自分に言い聞かせても
私の中で
それはもうどうでもよくなってくるのだ。


駄目だ。
ほんとに駄目だ。


家に居る環境が必ずしもいいとは限らないよ。


私が鬼になる前に
母はやはり施設に行くべきだ。


そんな事を思いながら
お昼の用意をしていたら
また起き上がって母が入ってくる。


その時に耳を疑うような事を言い出した。
私はショックだった。

父母の秘密と言うべきか。

何故それを今言うのか。
出来ることなら墓場まで持っていくべきだろう。

子供に言うことか。


混乱している母の中で
その話しは本当なのかどうかはわからないけれども
何だか親って大したことないなとつくづく思った。

もちろん私自身も含めて・・・


ただ先日の、桜を見にドライブした時に
生んでくれた事への感謝の言葉だけは言っておいた。

言っておくべきだと思ったから。


他はどうであれ
私は、自分が生まれてきた事に最大の幸せを感じている。


後悔してきたことも
ちょっと辛いこともいろいろあったけど
でも、生まれてきた事は不幸じゃない。

それだけは本当に有り難く思っている。


でも、もっと
母がしっかりしている時に言えば良かった。
それが残念でならない。



さて、
明日の私は今日より優しくいよう、優しくいよう。
暗示のように唱えて眠るといたします。


おやすみなさい。





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Posted by tammy at 23:54 │母の病気